2006/03/26

試練と誘惑

ヤコブの手紙1章12~16節

「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。」

二つの言葉をみると同じ試みという要素を持っていながら天と地ほどの開きがある。サタンの誘惑を受け、欲に駆られ罪に走ってしまう、罪を犯してしまったこのに気づいて落胆する。誘惑が大きければ大きいほど、その落胆も激しいものだ。私たちの周りには、自分でも気がつかないほどに誘惑が多い。どうかサタンに誘惑にだまされないでほしい。罪の結果は死なのだから。私たちクリスチャンは、神の試練にあい耐え抜いて良しとされたいものだ。主の十字架を信じたものとして神の永遠の命にあづかる事ができる喜びをともに共有したい。

主の御顔があなたに向けられ平安がありますように