2006/04/25

詩と十字架


「病者の祈り」 : ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁の祈りの詩

大事をなそうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった

求めたものは
一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた

神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた

私はあらゆる人の中で
もっとも豊かに祝福されたのだ




この詩を、私は数年前に何気なく読んでいた本のなかに見つけた。そして、チャットルーム☆聖書を読む部屋☆で紹介させていただいたばかりだ。
先日、私の通う教会に十字架がやって来た。驚きの何ものでもなかった。
今年の初めに、教会では礼拝に集う人たちの今年度やりたいこと、やり始めたいことをそれぞれ発表した。私は、教会の建物に十字架がなかったので十字架を作りたいと発言した。あれやこれやと考えホームセンターにも行き材料費などの計算もしていた。そして、大きさやどのように建てるかということまで、ほぼ構想は出来上がっていたところだった。そこに、突如十字架がやって来た。私が考えているよりも立派な十字架だ。十字架を立てる方法などは私が考えていたものとほぼ同じだったが、十字架本体は芸術家の作った立派なものであったし、費用も格安だった。なんと、タダ!
別の大きな教会につけられていたものだったが、十字架を付け替えるということで不要になったものを譲り受けたものだ。

病者の祈りの詩を再確認したばかりであったので、本当に神様は私の望んだことよりもすばらしいものを与えて下さったと・・・。私自身が準備していたことは、無駄になったけれども ・・・・ ^^;

(/ ̄ー ̄)/‥∵:*:☆*゜★。::*☆ハレルヤ!!

2006/04/15

草津温泉報告第三弾 写真編

                              
観光湯もみのみれるところ


 


湯煙で見えない
火傷をした風呂
真ん中アタリにオーブが見える右側に湯煙の加減だろうけど人の頭らしきものが映っている




白糸の滝 写真では大きく見えるがせいぜい4~5メートルの高さだ Posted by Picasa

草津温泉報告第二弾

泊まったホテルはホテル○○という、湯畑の目の前にあるホテルだ。直前プランでの宿泊だが格安な割りには、とてもサービスが良かった。食事は、ホテル内のレストラン。
【夕食の内容】
1.先付け    
   胡麻豆腐のあんかけ
1.前菜たちの楽しき語らい    
   天子の煮びたし     
   ミニ茶わん蒸し    
   甘いフルーツトマトとモツァレラチーズ    
   生ハム、バケットにのせて    
   シュリンプカクテル    
   焼しめじ、スダチ
1.春雪舞う中で本日の御造り
1.大地の恵をうけて本日の御煮物    
   かぶの含ませ煮
1.湯畑をながめなが湯畑鍋       
   上州野菜ときのこ    
   一田屋さんちの手作りとうふ    
   ゆば
1.春寒の中で鉄板焼きを    
   上州牛 又は  白身魚    
   上州フィレ牛   ホースラディシュソース           
             天然塩      
      スペシャルソース    
すずきのポアレ セミドライトマトソース           
さっぱりレモン マッシュルームソース
1.銀色に輝くごはん    
新潟有機米内山義男さんの田んぼで作ったこしひかり
1.早春の夕げには暖かいお椀を    
   冬野菜のみそ汁    
   香り物 三品
1.おしゃれなあなたにデザートを    
   ベリーいろいろソース チーズケーキ    
   りんごスープ(実は濃厚りんごジュースだった) 
   バニラアイスとともに

とても美味しかった・・・・・が、難点を言うとしたら座る席がとても狭かったことかな。身動きが出来なかった^^朝食は、雑炊などもありかなりボリュームがあった。

翌日は、10時チェックアウト帰りのコースは軽井沢経由にしてみた。チェックアウトするときに、観光の見所をたずねると「鬼押し出し」と「白糸の滝」を紹介してくれたからだけど・・・・・まぁ行き当たりばったりの旅行なので^^
                              
                          
鬼押し出しの写真よりも白糸の滝の写真を見てほしい。。。。o(゜^ ゜)ウーン実にすばらしい。写真は・・・・。実際は、なんだこれってがっかりした。もっと大きいと思ったのに。イメージが壊れてしまった。悲しい(_ _。)・・・シュン








といいながらも軽井沢に到着。25年ぶりの軽井沢は、派手になっていたものの雰囲気は変わらず人通りもそこそこあって懐かしかった。若い頃、軽井沢のキャンプ場で2週間ほどワーカーとして奉仕したことをしみじみと思い浮かべた・・・・。

一泊二日の温泉旅行でした。  おしまい

2006/04/07

草津温泉報告第一弾

4月6~7日まで群馬県の草津温泉に行ってきました。 関越高速道路、渋川伊香保インターを降りて、35号線から145号線を通り草津に行きました。
実はこのコースはマイナーなコースだった(^o^)ゞ 6日はあまりにも寒く<(; ^ ー^) マイッタマイッタ... 2時に着くはずが思ったよりも早く、草津の街中で食事・・有名な舞茸うどんを食べようと・・・いった先は実は寿司屋。しかし、誰も寿司を注文している人はいない変な寿司屋だった。壁にはなにやら色紙がいっぱい貼ってあったが・・・かなり前のものばかり。 食事が終わってもチェックインには時間があるため片岡鶴太郎美術館に足を運ぶことにした。
・・・数十メートルしか離れていなかったが、道行く人たちが脚を止めているのでふと覗き込むと、お茶と温泉饅頭を持っている。温泉饅頭屋のサービス(〃⌒∇⌒)ゞえへへっ♪
行き過ぎた道を舞い戻り、手を出す(@ ̄¬ ̄@)ジュルリ♪ 美味かった~~~蒸したての饅頭は、アツアツでなんともいえぬ美味しさだった・・・・と思った。
そして20メートルほど歩くと饅頭屋。そこでもサービス・・・・もちろん・・・・モゴモゴ ( ̄~ ̄;)
腹がいっぱいになったところで、鶴太郎さんの絵を拝見。。。。o(゜^ ゜)ウーン魚はすごいけど花は下手くそだな~というのが母ともに持った感想だった。
なんとも言えぬ感想を持ちつつ、外に出ると佃煮や( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ さっそく味見・・・・味見・・・・味見・・・次の店でも味見・・・味見・・・もう食えんな~~
西の河原を見学してホテルにチェックインすべく道を舞い戻るが・・・・またしてもそこには佃煮やと饅頭屋が立ちはだかるではないか。
いや~~さっき頂きましたからと言っても ヘ(゜▽、゜*)ノ ジュル♪

やっとの思いでホテルにチェックイン。 温泉だ~~~何といっても草津だからね^^
街中の無料温泉場を散策。
アツ~~~~死ぬ~~~~・・・・・・。
体中ヒリヒリと半やけど状態で着替えてると地元の人たちが
ヒソヒソ(*´/ー)´ー)フムフム 「まったく今日はぬるくてしかたねぇよ。客が蛇口閉めやがってよ。さっき元に戻したところよ。全然ぬるくってな入れねぇよ」
Σ(='□'=)ウッソー!? アレでぬるいってか・・・・地元の人間は慣れっこなのかこの熱さ・・・・信じられん。 けっこう風呂は熱めが好きだし、熱いのを好んでいるが・・・こんなに熱い温泉は初めて入った。というか30秒も入っていられなかった。

ということで報告終わり 草津温泉報告第二弾をお楽しみに・・・・・・。

2006/04/02

・・・((((( ^-)_∠※ 桜をどうぞ


散る桜 残る桜も 散る桜  

この句は、良寛作と伝えられているが真偽のほどはわからぬまでも、日本人として感慨を覚える一句である。俳句の季語のなかには、桜にまつわるものが多い。

花 山桜 彼岸桜 糸桜 枝垂桜 八重桜 染井吉野 里桜 初花 朝桜 夕桜 夜桜 遅桜 残花 花時 花盛り 花過ぎ 花の雲 花明り 花曇 花の昼 花の雨 花便り 桜月夜 落花 花吹雪 花見 花篝(はなかがり)花守 花冷 花筏 

桜は日本の代表的な花であり、俳句で花といえば桜のことを指す。植物学上からいうと、単に桜と言う植物はなく、種々の桜の総称である。染井吉野は明治の初めに江戸の植木職人が作った品種の一つだ。染井吉野は「サクランボ」を実らせない。染井吉野に実がなり種を採集した人はいないだろう。品種として実がならないものというわけではない。それでは何故、染井吉野は実をならせないのだろうか?それは、もともと桜は自家受粉しない種類であるからだ。つまり、異株同士でなくては受粉せず実もならなければ種も出来ないのだ。染井吉野は、異株が存在しない品種である。(‥ )ン?思われるだろう。こんなに染井吉野はあるじゃないかと・・・。
染井吉野は明治の初めに人為的に作られ急速に増産した桜だ。増産の仕方は・・・。植物クローンの方式をとっている。クローンといっても動物の世界では科学の最先端だが、植物の世界では一般的に行われている「挿し木」「接木」のことなのだ。染井吉野は一本の木から挿し木で増やされた為、全ての木がおなじDNAを持つ、親子同士でも兄弟姉妹でもない自分自身の複製なのだ。異株であっても、固体は分身であるために自家受粉することなく実を熟すこともありえないのだ。

聖書の中で木や実といえば思い出す言葉がいくつかある。エデンの園の中央にある「善悪を知る木の実」「ぶどうの木」「御霊の実」などが上げられる。特に御霊の実に関しては、私たちが望んで実のらさせなければいけないものの一つだろう。

ガラテヤ人への手紙5章13~26節

「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。」

御霊の実は愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制を生み出すのです。私たちが、これらのものを望むとき、私たち自身も隣人にこれらのことをしてあげようではありませんか。自分のことはさておき、まず隣人のために御霊の実を実践しましょう。そのとき、私たちを助けてくださる方、御聖霊が、私たちを守り導いてくださるのです。
悲しみや、苦しみ、孤独感を味わっている人がいるなら、まずこの御霊の実を実践してみてください。御聖霊があなたを助けてくれるはずです。