2006/04/02

・・・((((( ^-)_∠※ 桜をどうぞ


散る桜 残る桜も 散る桜  

この句は、良寛作と伝えられているが真偽のほどはわからぬまでも、日本人として感慨を覚える一句である。俳句の季語のなかには、桜にまつわるものが多い。

花 山桜 彼岸桜 糸桜 枝垂桜 八重桜 染井吉野 里桜 初花 朝桜 夕桜 夜桜 遅桜 残花 花時 花盛り 花過ぎ 花の雲 花明り 花曇 花の昼 花の雨 花便り 桜月夜 落花 花吹雪 花見 花篝(はなかがり)花守 花冷 花筏 

桜は日本の代表的な花であり、俳句で花といえば桜のことを指す。植物学上からいうと、単に桜と言う植物はなく、種々の桜の総称である。染井吉野は明治の初めに江戸の植木職人が作った品種の一つだ。染井吉野は「サクランボ」を実らせない。染井吉野に実がなり種を採集した人はいないだろう。品種として実がならないものというわけではない。それでは何故、染井吉野は実をならせないのだろうか?それは、もともと桜は自家受粉しない種類であるからだ。つまり、異株同士でなくては受粉せず実もならなければ種も出来ないのだ。染井吉野は、異株が存在しない品種である。(‥ )ン?思われるだろう。こんなに染井吉野はあるじゃないかと・・・。
染井吉野は明治の初めに人為的に作られ急速に増産した桜だ。増産の仕方は・・・。植物クローンの方式をとっている。クローンといっても動物の世界では科学の最先端だが、植物の世界では一般的に行われている「挿し木」「接木」のことなのだ。染井吉野は一本の木から挿し木で増やされた為、全ての木がおなじDNAを持つ、親子同士でも兄弟姉妹でもない自分自身の複製なのだ。異株であっても、固体は分身であるために自家受粉することなく実を熟すこともありえないのだ。

聖書の中で木や実といえば思い出す言葉がいくつかある。エデンの園の中央にある「善悪を知る木の実」「ぶどうの木」「御霊の実」などが上げられる。特に御霊の実に関しては、私たちが望んで実のらさせなければいけないものの一つだろう。

ガラテヤ人への手紙5章13~26節

「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。」

御霊の実は愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制を生み出すのです。私たちが、これらのものを望むとき、私たち自身も隣人にこれらのことをしてあげようではありませんか。自分のことはさておき、まず隣人のために御霊の実を実践しましょう。そのとき、私たちを助けてくださる方、御聖霊が、私たちを守り導いてくださるのです。
悲しみや、苦しみ、孤独感を味わっている人がいるなら、まずこの御霊の実を実践してみてください。御聖霊があなたを助けてくれるはずです。