2006/03/26

試練と誘惑

ヤコブの手紙1章12~16節

「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。」

二つの言葉をみると同じ試みという要素を持っていながら天と地ほどの開きがある。サタンの誘惑を受け、欲に駆られ罪に走ってしまう、罪を犯してしまったこのに気づいて落胆する。誘惑が大きければ大きいほど、その落胆も激しいものだ。私たちの周りには、自分でも気がつかないほどに誘惑が多い。どうかサタンに誘惑にだまされないでほしい。罪の結果は死なのだから。私たちクリスチャンは、神の試練にあい耐え抜いて良しとされたいものだ。主の十字架を信じたものとして神の永遠の命にあづかる事ができる喜びをともに共有したい。

主の御顔があなたに向けられ平安がありますように

2006/03/25

友達の友達は友達 友達の輪

↑ 変なタイトルですよね。o(*^▽^*)oあはっ♪

yahooチャットで☆聖書を読む部屋☆を再開して半年もたっていないのに、かなり知り合いの繋がりが出来ました。

知り合いといっても、チャット上の方ですが私の友人であり知人である人が牧師をしていますが、その教会の礼拝にその方の友人が参加されているのです。

また、私が若いころ(今でも若いと思っているが)お世話になった牧師の弟さんもこのチャット上で知り合った方の一人だ。別カテゴリーにあるクリスチャンチャットの管理人をしているサムソン氏(ハンドルネーム)がその人だ。

チャットをしているとそのように、友達の友達が実はσ(o^_^o)の友達だった知人だったという話は多い。これまでに数えると10人はいるだろうか。

チャット上のことだから個人的な話はあまりしない場合が多いが、この人数を考えると、かなり個人的な部分に立ち入って会話してるんだなと思う事がある。

主イエスの愛が輪を作って行ってくれているのかもしれない。

改めて友達の輪を大事にしたいと思う今日この頃だ^^

2006/03/13

竹脇真理の思い出

もう30年近く前だろうか一冊の本を手にした。その本は「勇ましく高尚な生涯」著者 竹脇真理 いのちのことば社発行のものだ。高校生で脳腫瘍を患い夭逝したクリスチャンの手記(日記)である。この本をHi-BA(高校生伝道協会)のスタッフに薦められて読んだ。
当時の私の年齢と夭逝した竹脇真理とは偶然にも同じ歳だった。脳腫瘍に罹る前と、闘病生活を通しての彼の信仰のあり方、日々の思いがひしひしと胸を打った覚えがある。竹脇真理のお父さんは竹脇昌作というアナウンサーだ。竹脇昌作といっても知っている人は少ないだろうが、戦時中の「大本営発表」というくだりのラジオ放送の声をご存知だろう。
そのアナウンサーが彼の父だ。
さらに言うなら彼の弟は俳優:竹脇無我その人だ。今日たまたまテレビで、大岡越前の番組予告の放送で竹脇無我を久しぶりに拝見させていただいた。癌に苦しむ多くの方々にこの本を読んでいただきたいと思う。40年前の本なので絶版になっているようだが・・幸いにも小学館で復刻しているので是非とも手に入れてほしい本の一つだ。

http://www.s-book.com/plsql/com2_detail?isbn=4093873879

イザヤ53章1~5節

「私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(日本聖書刊行会発行新改訳聖書より)

2006/03/01

金メダル

トリノ五輪フィギュアスケート女子のフリーで、荒川静香(24)(プリンスホテル)が金メダルを獲得し日本に今大会初のメダルをもたらした。上体を後ろに反らして滑る得意の「イナバウアー」を披露した時には、会場から歓声とどよめきが自然とわき起こった。そして、最後のポーズを決めると、詰めかけた約6200人の観客はスタンディング・オベーションのエールを送った。表彰台上の荒川選手は、首から下がる金メダルを観客席に向けて掲げ、晴れやかな笑顔を見せた。インタビューでは、「力まず、楽しんで滑ることを心掛けた。思い通りに滑れた」と言っていた。演技を終えた直後の感想では「『終わった』という安心感で、これまでの思いみたいなものが込み上げてきました」。金メダル決定の瞬間は、「うれしいというより驚いていました」と本音を語ってくれました。

コリント人への手紙第一9章24節~27節

「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」(日本聖書刊行会発行の新改訳聖書より)


使徒パウロは、このように述べている。

ジャンプの原田選手のように失格者が多く出る中、荒川選手は数々の苦難を乗り越え、怪我をしながらもトリノオリンピックに臨み金メダルをとった。私たちも、人生の最終ゴール地点を目指し、賞をとることが出来るように毎日を一歩一歩、歩んでいきたいと思う。