もう30年近く前だろうか一冊の本を手にした。その本は「勇ましく高尚な生涯」著者 竹脇真理 いのちのことば社発行のものだ。高校生で脳腫瘍を患い夭逝したクリスチャンの手記(日記)である。この本をHi-BA(高校生伝道協会)のスタッフに薦められて読んだ。
当時の私の年齢と夭逝した竹脇真理とは偶然にも同じ歳だった。脳腫瘍に罹る前と、闘病生活を通しての彼の信仰のあり方、日々の思いがひしひしと胸を打った覚えがある。竹脇真理のお父さんは竹脇昌作というアナウンサーだ。竹脇昌作といっても知っている人は少ないだろうが、戦時中の「大本営発表」というくだりのラジオ放送の声をご存知だろう。
そのアナウンサーが彼の父だ。
さらに言うなら彼の弟は俳優:竹脇無我その人だ。今日たまたまテレビで、大岡越前の番組予告の放送で竹脇無我を久しぶりに拝見させていただいた。癌に苦しむ多くの方々にこの本を読んでいただきたいと思う。40年前の本なので絶版になっているようだが・・幸いにも小学館で復刻しているので是非とも手に入れてほしい本の一つだ。
http://www.s-book.com/plsql/com2_detail?isbn=4093873879
イザヤ53章1~5節
「私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(日本聖書刊行会発行新改訳聖書より)
2006/03/13
2006/03/01
金メダル
トリノ五輪フィギュアスケート女子のフリーで、荒川静香(24)(プリンスホテル)が金メダルを獲得し日本に今大会初のメダルをもたらした。上体を後ろに反らして滑る得意の「イナバウアー」を披露した時には、会場から歓声とどよめきが自然とわき起こった。そして、最後のポーズを決めると、詰めかけた約6200人の観客はスタンディング・オベーションのエールを送った。表彰台上の荒川選手は、首から下がる金メダルを観客席に向けて掲げ、晴れやかな笑顔を見せた。インタビューでは、「力まず、楽しんで滑ることを心掛けた。思い通りに滑れた」と言っていた。演技を終えた直後の感想では「『終わった』という安心感で、これまでの思いみたいなものが込み上げてきました」。金メダル決定の瞬間は、「うれしいというより驚いていました」と本音を語ってくれました。
コリント人への手紙第一9章24節~27節
「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」(日本聖書刊行会発行の新改訳聖書より)
使徒パウロは、このように述べている。
ジャンプの原田選手のように失格者が多く出る中、荒川選手は数々の苦難を乗り越え、怪我をしながらもトリノオリンピックに臨み金メダルをとった。私たちも、人生の最終ゴール地点を目指し、賞をとることが出来るように毎日を一歩一歩、歩んでいきたいと思う。
コリント人への手紙第一9章24節~27節
「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」(日本聖書刊行会発行の新改訳聖書より)
使徒パウロは、このように述べている。
ジャンプの原田選手のように失格者が多く出る中、荒川選手は数々の苦難を乗り越え、怪我をしながらもトリノオリンピックに臨み金メダルをとった。私たちも、人生の最終ゴール地点を目指し、賞をとることが出来るように毎日を一歩一歩、歩んでいきたいと思う。
2006/02/18
オリンピック
まもなく日本の登場です・・・・・・・・・・。
テレビの右上に毎日のように見る。…c(゜^ ゜ ;)ウーンいつまでたっても日本は登場しないじゃないか。しびれを切らして、お茶でも飲もうとテレビの前から離れ戻ってみると、その間に日本選手の競技が終わってしまっていた。
せっかくライブで見ようと頑張ってテレビの前にいたというのに。(。_・)ドテッ
どうせなら、「あと何番目に登場です」とかいてくれたらいいのにと思うのは私一人のわがままだろうか。
オリンピックでの中継で耳にたこができるほどに「いいですよ。いいですね・・・・・・あぁ・・・だめだ」という言葉何度聞いただろうか。
私たちに対する神様の対応は正反対だ。
「だめだ、だめだ、そして最後には いいね^^」と言ってくれる。
反対にサタンは・・
「いいよ。いいよ。ほ~~~らやちゃったね。おまえは最悪だ~」と言う。
何について言っているかというと、罪に対してだ。
神様は罪に対してとても厳しい、だめはだめだとはっきりと語る。しかし、従うものに対しては、「いいよ」と言って赦してくれ、守ってくれる。
反対にサタンは、誘惑の言葉、甘い言葉で人間を罪の行動に走らせ、罪を犯した人間には「そら見ろ、おまえは罪人だ。駄目な人間だ」と突き放す。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」【ヨハネの福音書3章16節】
一人も滅びないようにと待っていてくださる方、神。
感謝に尽きない†o(・・) アーメン
テレビの右上に毎日のように見る。…c(゜^ ゜ ;)ウーンいつまでたっても日本は登場しないじゃないか。しびれを切らして、お茶でも飲もうとテレビの前から離れ戻ってみると、その間に日本選手の競技が終わってしまっていた。
せっかくライブで見ようと頑張ってテレビの前にいたというのに。(。_・)ドテッ
どうせなら、「あと何番目に登場です」とかいてくれたらいいのにと思うのは私一人のわがままだろうか。
オリンピックでの中継で耳にたこができるほどに「いいですよ。いいですね・・・・・・あぁ・・・だめだ」という言葉何度聞いただろうか。
私たちに対する神様の対応は正反対だ。
「だめだ、だめだ、そして最後には いいね^^」と言ってくれる。
反対にサタンは・・
「いいよ。いいよ。ほ~~~らやちゃったね。おまえは最悪だ~」と言う。
何について言っているかというと、罪に対してだ。
神様は罪に対してとても厳しい、だめはだめだとはっきりと語る。しかし、従うものに対しては、「いいよ」と言って赦してくれ、守ってくれる。
反対にサタンは、誘惑の言葉、甘い言葉で人間を罪の行動に走らせ、罪を犯した人間には「そら見ろ、おまえは罪人だ。駄目な人間だ」と突き放す。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」【ヨハネの福音書3章16節】
一人も滅びないようにと待っていてくださる方、神。
感謝に尽きない†o(・・) アーメン
2006/02/10
死刑制度について
先日、某新聞に死刑制度についての記事が出ていた。現法務大臣が「私はサインしません」と昨年の秋の就任時に発言して、あわてて翌日訂正したことがあった。私情ではサインしない・・・したくない。しかし公職(公務)とは違うと訂正したのだ。悲しい記事だった。
以前、私が通っていた教会の牧師は死刑制度賛成論者だった。聖書には、人を殺したものは殺されるべきという報復的懲罰が書かれている。そのことを指して、死刑は当然聖書的だというのだ。確かに私もその意見には同調する。聖書にかかれてある通り死刑はあっても良い。が・・・・・。
その死刑を決断し行うのは人間であることを忘れてはいけない。
罪人である人間が、その人の死を決定することができるのだろうか。何もここで博愛主義を訴えようとしているのではない。私は、殺人を犯したものは死刑に処すべきことにはまったく異存はない。
しかし、決断(裁判)が間違っていたらどうなのか?裁判官が決めることは間違いがないのだろうか?殺すつもりがなく、人を傷つけ結果的に死に至らしめてしまった場合は、傷害致死という罪名で裁かれる。殺す意思があった場合のみ、殺人罪が適用され、死刑になる場合があるのだ。傷害致死と殺人では、その下る判決の軽重は甚だしい。先日、ある殺人事件で無罪という結果が出た。きわめて珍しい判決だった。物的証拠がなく、被告の自白だけで起訴し裁判を維持しようとした警察、検事の勇み足だったようだ。否、警察、検事によって、犯人が捏造され裁判が行われたと言ってもよい。警察、検察庁での調書はどのようにして作成されるかというと、容疑者にあれこれと質問し、警察官、検事が文章を作っていく。容疑者は作られた文章に指印を押すだけなのだ。ホリエモンが供述調書に指印しなかったという報道がなされていたが、少しでも同意できなければ認める必要はないのだ。裁判で供述すればよい。しかし、警察官、検事は言葉巧みに容疑者が犯行の意思があった事を認めさせることに長けている。ある場合はおだて、ある場合は脅す。「このまま認めなければ、全面否認で起訴するぞ・・・否認で裁判になったらどうなるかわかってるだろうな・・・認めて裁判になるほうがいいか、否認で裁判になったらいいか結果は考えれば馬鹿でもわかるだろう」と。殺そうなどという意思もないのに、殺す意思があったと認めてしまい殺人罪で裁かれ死刑判決が下される。そんなことはあるはずもないと誰が言えるだろうか。
ある人に聞いたことがある、「犯罪は警察が創るものだ」と。
絶対にあってはならないことだが、事件解決を焦るばかりに事実とは違う犯罪名が作られていく事があるのだ。そして、当の容疑者も連日に渡る警察官(検事)の取調べに耐え切れず、早く楽になりたい一心で何でも認めてしまい、供述調書に指印していくことがあるのだ。
私は、殺人を犯したものに対する死刑には反対しないが、現行の死刑制度には異議を唱える。間違いだらけの人間が人の死を決めることはできない。
決めることができるのは神ご自身だけである。
以前、私が通っていた教会の牧師は死刑制度賛成論者だった。聖書には、人を殺したものは殺されるべきという報復的懲罰が書かれている。そのことを指して、死刑は当然聖書的だというのだ。確かに私もその意見には同調する。聖書にかかれてある通り死刑はあっても良い。が・・・・・。
その死刑を決断し行うのは人間であることを忘れてはいけない。
罪人である人間が、その人の死を決定することができるのだろうか。何もここで博愛主義を訴えようとしているのではない。私は、殺人を犯したものは死刑に処すべきことにはまったく異存はない。
しかし、決断(裁判)が間違っていたらどうなのか?裁判官が決めることは間違いがないのだろうか?殺すつもりがなく、人を傷つけ結果的に死に至らしめてしまった場合は、傷害致死という罪名で裁かれる。殺す意思があった場合のみ、殺人罪が適用され、死刑になる場合があるのだ。傷害致死と殺人では、その下る判決の軽重は甚だしい。先日、ある殺人事件で無罪という結果が出た。きわめて珍しい判決だった。物的証拠がなく、被告の自白だけで起訴し裁判を維持しようとした警察、検事の勇み足だったようだ。否、警察、検事によって、犯人が捏造され裁判が行われたと言ってもよい。警察、検察庁での調書はどのようにして作成されるかというと、容疑者にあれこれと質問し、警察官、検事が文章を作っていく。容疑者は作られた文章に指印を押すだけなのだ。ホリエモンが供述調書に指印しなかったという報道がなされていたが、少しでも同意できなければ認める必要はないのだ。裁判で供述すればよい。しかし、警察官、検事は言葉巧みに容疑者が犯行の意思があった事を認めさせることに長けている。ある場合はおだて、ある場合は脅す。「このまま認めなければ、全面否認で起訴するぞ・・・否認で裁判になったらどうなるかわかってるだろうな・・・認めて裁判になるほうがいいか、否認で裁判になったらいいか結果は考えれば馬鹿でもわかるだろう」と。殺そうなどという意思もないのに、殺す意思があったと認めてしまい殺人罪で裁かれ死刑判決が下される。そんなことはあるはずもないと誰が言えるだろうか。
ある人に聞いたことがある、「犯罪は警察が創るものだ」と。
絶対にあってはならないことだが、事件解決を焦るばかりに事実とは違う犯罪名が作られていく事があるのだ。そして、当の容疑者も連日に渡る警察官(検事)の取調べに耐え切れず、早く楽になりたい一心で何でも認めてしまい、供述調書に指印していくことがあるのだ。
私は、殺人を犯したものに対する死刑には反対しないが、現行の死刑制度には異議を唱える。間違いだらけの人間が人の死を決めることはできない。
決めることができるのは神ご自身だけである。
難しいと思ったこと
難しいなとつくづく思った事がある。
ある方からPM(ヤフーメセンジャーのプライベートメッセージ)が来た。「相談があるんですが」ということだが、どうも前日のオフラインのPMらしい。そこで、夕方ログインしたおりに返信してみた。すると、30分ほどして返信が帰ってきたので、訳をたずねてみた・・・・・1時間ほどその方とPMすることになったが・・・・・。
その方は、相談というより、私に質問がしたかったようだ。私は「相談があるんですが」という彼のことばに、相談という形で答えたつもりだ。しかし、答えていく途中でことば尻を捉え、次の質問をしてくる。質問をする前に、お願いしたかった・・。
チャットやPMではかなり対話にタイムログがあるのは、それを体験した人にはわかってもらえるだろうが、普通の対面しての会話、電話での会話のそれとはだいぶ違う。最後まで、話しを聞いて、それから質問してほしかった。
彼はこう言った「 さっきから言ってるじゃないですか、質問に対してまともに答えないからいやな思いをしたって。」そして、彼は私もまともに答えない一人だと決め付け、PMを終わらせた。
相談したいんだが・・・という彼の気持ちもよくわかる。いずれにせよネット上でのやり取りでのことらしい。
大変難しいと思ったのは、ネット上での「ことばと感情」だ。相手の立場になって話せない。いくら相手の立場になって話そうと思っても、文字で少しだけ会話した相手のことをどれだけ理解できるだろうか。反省することは、多くあるがチャットやPMなどで相手と対話し分かり合えるところまで行くのは難しいなと思ったネット上のやり取りだった。
彼にはリアルにゆっくり話す相手が与えられるように神様に願うだけだ。
ある方からPM(ヤフーメセンジャーのプライベートメッセージ)が来た。「相談があるんですが」ということだが、どうも前日のオフラインのPMらしい。そこで、夕方ログインしたおりに返信してみた。すると、30分ほどして返信が帰ってきたので、訳をたずねてみた・・・・・1時間ほどその方とPMすることになったが・・・・・。
その方は、相談というより、私に質問がしたかったようだ。私は「相談があるんですが」という彼のことばに、相談という形で答えたつもりだ。しかし、答えていく途中でことば尻を捉え、次の質問をしてくる。質問をする前に、お願いしたかった・・。
チャットやPMではかなり対話にタイムログがあるのは、それを体験した人にはわかってもらえるだろうが、普通の対面しての会話、電話での会話のそれとはだいぶ違う。最後まで、話しを聞いて、それから質問してほしかった。
彼はこう言った「 さっきから言ってるじゃないですか、質問に対してまともに答えないからいやな思いをしたって。」そして、彼は私もまともに答えない一人だと決め付け、PMを終わらせた。
相談したいんだが・・・という彼の気持ちもよくわかる。いずれにせよネット上でのやり取りでのことらしい。
大変難しいと思ったのは、ネット上での「ことばと感情」だ。相手の立場になって話せない。いくら相手の立場になって話そうと思っても、文字で少しだけ会話した相手のことをどれだけ理解できるだろうか。反省することは、多くあるがチャットやPMなどで相手と対話し分かり合えるところまで行くのは難しいなと思ったネット上のやり取りだった。
彼にはリアルにゆっくり話す相手が与えられるように神様に願うだけだ。
教会を紹介する
最近教会を紹介することが多くなった。
わたしの信仰の立場から言うと、どこでもいいから教会に行ってくださいとは言えない。教会と名がついていても、聖書に従はない名ばかりの教会があるからだ。紹介するとすると、私と同じ教派のアナバプテストの教会か、万一地域に紹介のできるアナバプテストの教会がない場合は、一度でも礼拝出席した信頼の置けるプロテスタントの福音派の教会となってしまう。しかしそれでも、私が一度も足を踏み入れていない教会を紹介するのも気が引けるものだ。どんな牧師の教会か、教会の規模はどのくらいなのか、また教会ごとに雰囲気はまったく異なる。紹介すべき教会のことを知らずに・・・心苦しいとしか言いようがないが、それでも明らかに間違った聖書信仰の教会を紹介するよりはましかなとも思える。
また、チャット上での紹介なので紹介する人のことも知らない場合が多い、紹介した教会が私には居心地の良い教会であっても、その方にはなじめない教会だったということもありえるからだ。何にしろ教会を紹介するというのは難しいと思う。しかし、教会を探すという労力も私にとっては、神様の恵みの一つなのだろうから、私は教会を紹介してほしいという人には・・・喜んで探している。
わたしの信仰の立場から言うと、どこでもいいから教会に行ってくださいとは言えない。教会と名がついていても、聖書に従はない名ばかりの教会があるからだ。紹介するとすると、私と同じ教派のアナバプテストの教会か、万一地域に紹介のできるアナバプテストの教会がない場合は、一度でも礼拝出席した信頼の置けるプロテスタントの福音派の教会となってしまう。しかしそれでも、私が一度も足を踏み入れていない教会を紹介するのも気が引けるものだ。どんな牧師の教会か、教会の規模はどのくらいなのか、また教会ごとに雰囲気はまったく異なる。紹介すべき教会のことを知らずに・・・心苦しいとしか言いようがないが、それでも明らかに間違った聖書信仰の教会を紹介するよりはましかなとも思える。
また、チャット上での紹介なので紹介する人のことも知らない場合が多い、紹介した教会が私には居心地の良い教会であっても、その方にはなじめない教会だったということもありえるからだ。何にしろ教会を紹介するというのは難しいと思う。しかし、教会を探すという労力も私にとっては、神様の恵みの一つなのだろうから、私は教会を紹介してほしいという人には・・・喜んで探している。
我が家にテレビがやって来た
我が家にテレビがやってきました。
地上デジタル放送があと何年かすると始まるというのに、アナログ対応のテレビを買いました^^
最近テレビの力ってものすごく大きいのだなと思います。ラーメン店の様子が放送されていましたけど、はっきり言ってなんで並ぶのか・・・・美味しいというなら、もっとほかにも美味しい店はあるだろうと思うようなところが出ていました。テレビの広告力というのはすごいですね。
以前通っていた教会の牧師は、礼拝メッセージによくリアルタイムに起こった最新のニュースのなかから事件を喩えに使っていましたが、私は「どうかな?」とよく思っていました。なぜかって???最新のニュースというのは時として事実とは違う場合があるからです。
イラクの戦争を見てください・・・大量破壊兵器があるからだという理由で戦争を始めましたが、その実・・・CIAの間違った情報収集だったことをブッシュ大統領も謝罪しています。当時、私が通っていた教会の牧師は、戦争賛成論者でした。メッセージの中にも大量破壊兵器についての批判的発言があり、戦争は当然だと主張していました。
また、あの松本サリン事件では報道機関の不適切な報道のためにどれだけ河野さんの一家が迷惑したか・・・。テレビの力というのは本当に怖いと思いますし、その力が良い方向に使われるならまだしも、間違った使われ方をすることもあります。ニュースというのは、そのまま事実ではないと常に私は思っています。殺人事件にしても、被害者、加害者の両方の真実を伝えているとは思えません。事件が起こってしまった背景には、報道では明らかにされない部分が多くあるからです。
情報に惑わされず、毎日を過ごしたい。そして、全てのことが明らかになるときが来ます。そのときを静かに待ちたいと思います。
地上デジタル放送があと何年かすると始まるというのに、アナログ対応のテレビを買いました^^
最近テレビの力ってものすごく大きいのだなと思います。ラーメン店の様子が放送されていましたけど、はっきり言ってなんで並ぶのか・・・・美味しいというなら、もっとほかにも美味しい店はあるだろうと思うようなところが出ていました。テレビの広告力というのはすごいですね。
以前通っていた教会の牧師は、礼拝メッセージによくリアルタイムに起こった最新のニュースのなかから事件を喩えに使っていましたが、私は「どうかな?」とよく思っていました。なぜかって???最新のニュースというのは時として事実とは違う場合があるからです。
イラクの戦争を見てください・・・大量破壊兵器があるからだという理由で戦争を始めましたが、その実・・・CIAの間違った情報収集だったことをブッシュ大統領も謝罪しています。当時、私が通っていた教会の牧師は、戦争賛成論者でした。メッセージの中にも大量破壊兵器についての批判的発言があり、戦争は当然だと主張していました。
また、あの松本サリン事件では報道機関の不適切な報道のためにどれだけ河野さんの一家が迷惑したか・・・。テレビの力というのは本当に怖いと思いますし、その力が良い方向に使われるならまだしも、間違った使われ方をすることもあります。ニュースというのは、そのまま事実ではないと常に私は思っています。殺人事件にしても、被害者、加害者の両方の真実を伝えているとは思えません。事件が起こってしまった背景には、報道では明らかにされない部分が多くあるからです。
情報に惑わされず、毎日を過ごしたい。そして、全てのことが明らかになるときが来ます。そのときを静かに待ちたいと思います。
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